今日のごはんは な~~に

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息子

私には一人息子がいる、若くして生んだのでもう
いいおっさんだ!!

当時会社員だった私は、子供を保育所に預けながら
子育て・家事・仕事 2足や3足のわらじを履きながら
慌しい毎日を送っていた。

3歳から小学校に上がるまで当時住んでいた堺市から大阪市内まで
子供の手を引きながら保育所・職場を往復していた。

今、考えると小さな子供を朝早くから起こし夕方まで仕事をし
お迎えに行き帰りにスーパーにより晩御飯を食べさせお風呂に
入るだけが精一杯の日々だったような気がする。

帰りの電車の中で手作りのカードを使って文字を覚えさせ
しりとりや童謡を歌いながら家路を急いだ。

その頃の童謡は今でも私の中でも彼の中でも鮮明な記憶として
生き続けている。

時々思い出したようにその事に触れると懐かしそうな顔をする

「あの時は良く頑張ったね」「そうだね、あれが僕たちの原点だね」


小学校・中学校

そういえば、中学2年生の頃学生服の裏生地が紫や赤の龍のような柄の制服を
何処で手に入れたのか持って帰った、
私はそれを捨てた、何度もそれを繰り返し大喧嘩をしながらも最終的には彼が
根負けしてあきらめた。
勉強をせずにかなり母親を困惑させたがこれには私がさじを投げた

いいさ、好きなようにするさ、そのかわり勉強をしなかった責任は自分で取れと
だけ告げた。


高校は地方の高校で寮生活を送った
土地柄が合ったのか充分に田舎生活を満喫し都会では絶対に味わえないような
バイトもこなし卒業時には自分で運転免許も取って帰ってきた。


18歳になった時に聞いたことがあった。
母さん仕事ばかりしていて寂しい思いや、つらい思いをさせたんだろうね
母親失格だね・・・

彼はこう言った「そんなことないよ」お袋はお袋だよ!!
高校生になるとすぐにそれまで呼んでいた母さんではなく、お袋に変わった
察するに彼独特の照れがあったのだろう


その後社会人になり結婚をし2児の父親にもなった
世間にありがちな喧嘩もよくしたが最近ではそれもなくなった。

先日顔を出しゆきに話しかけていた。
「ゆきちゃんていうの、心配せんでいいよ、親父とお袋が死んだら
兄ちゃんが守ってやるよ」

ちょちょーー・・・

私の背中にこう言っていた「余計な苦労をせんでもいいのに」

それでも口に出したりはしない、お互いの性格は痛いほど良くわかっている

「お袋無理すんなよ」両肩に大きな手をかけてそう言った。

今回のゆきの事は無理を承知で引き受けた、やれば絶対にできる、
頑張ればできる!!

うるっとなるのを悟られまいと横を向き
「じゃぁね」「じゃぁ」

男同士のような親子だ。

手の温もりがいつまでも残った。。。

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